2015年04月23日

親父(オヤジ)3


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 シベリア抑留という過酷な捕虜生活から開放されて
故郷に無事帰還は果たしたが、厳しい現実が待っていた。
召集前に貯めたお金は、貨幣価値が変わってしまい用を成さない。
軍人恩給は捕虜期間が軍人とカウントされないので
受けられる期間に満たない。
身に付けた木工技術の需要が無い。
やむを得ず、桶屋に弟子入りをした。
持ち前の器用さで短期間で桶を作れるようになった。
でも、喰えない。
満たされない。
今度は、和菓子職人になろうと和菓子屋に勤めた。
ここでも、饅頭や大福を作る技は直ぐに身に付いた。
しかし、喰えない、満たされない。

 この頃、世の中は空襲で焼かれた家屋の復旧で
住宅建設用の木材需要が高まっていた。
森林面積の広い五城目町では製材工場がいくつも出来ていた。
職人の弟子としては早くに技術を身に付けてはいたが、
所詮は弟子である。
大した給料は払わないのだ。
青春を戦争に奪われた時は帰ってこない。
4人兄弟の4番目は、のんびりしていられないのであった。
よし、製材所で働こう。

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posted by アズキパパ at 16:08| Comment(3) | TrackBack(0) | ペット | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年04月16日

親父(オヤジ)2


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 戦争の事はあまり話したがらなかったが、衛生兵だったらしい。
戦闘で負傷した兵士の応急処置をしたり野戦病院へ移送したり、
戦死した兵士の記録と聞かされた。
程無く終戦を迎えたが、ソ連によって捕虜となりシベリアに労働力として
抑留されてしまう。
極寒のシベリアで過酷な労働と粗末な食事で、何人もの捕虜が死んでいった。
『働かざる者、喰うべからず』
とにかく体力の無い者は食事も満足に与えられなかった。
オヤジは体力には自信があった。
体力と要領の良さを発揮して、他の人よりも多く働いた。
その為、ソ連兵に大いに気に入られ、食事も大盛りで与えられた。
周りの捕虜が痩せ細っていく中で、オヤジは太ってズボンのベルトの長さが
足りなくなった。
見かねたソ連兵が自分のベルトを外して与えてくれた。
 私が幼かった頃に、「ロシア語はしゃべれるの」と聞いたら
「電気を消すことを、ケストクライって言うんだ」と答えた。
本当だったのか、冗談だったのか、未だに不明のままだ。

 親父は三年間の捕虜生活を経て、帰国することができた。
最長で11年も抑留された人もいる中で、早い帰国を果たした。
子供の私に話してくれた戦争体験は少なかったが、
終戦記念日には、毎年神妙な顔をしていた。
話したくとも話せない事があったんだろう。
私自身、大人になっていく過程で戦争について学ぶ機会があり
湧き上がる思いを確かめたい衝動に駆られた。
『オヤジは戦場で相手兵士を殺したのだろうか』
しかし、いくら息子でも聞いてはいけないタブーのような気がして
ついに聞けないままだった。
 あの敗戦があったからこそ、敗戦をバネに日本の繁栄があったかも知れないが、
夫や息子を戦場に取られる女性たちで、誇りと思った人はいただろうか。
国家的事情という大義を掲げた馬鹿な男共が始めた戦争に称賛を与えた女性は
いなかったのではないか。
一針一針、願いを込めて結んだ千人針には手柄を期待するものではなく
大切な夫や恋人、息子が無事に帰って欲しいという祈りしか無かったのではないか。
 
 戦争、ソ連の捕虜という過酷な運命を辿って帰った故郷であったが
安堵の日々が待っているわけではなかった。


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posted by アズキパパ at 16:37| Comment(0) | TrackBack(0) | ペット | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年03月10日

親父(オヤジ)1


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 親父はダイワン(町内会地区の別名)の狼と呼ばれていたらしい。
私自身は、その狼ぶりを目撃したことはない。
伝説のような話しであるが、酔っ払って暴れている親戚がいると
駆けつけて制圧し、担いで警察署まで行き、トラ箱にぶち込んで来たり
不良になって家に帰らない親戚の子を探し出し、家まで引きずって帰ったとか
製材所では直径30センチの丸太を両方の肩に1本づつ担いで運んだとか。

 親父は大正12年に4人兄弟の末っ子で生まれた。
豊かな人が一握りで、残りは総じて貧しかった時代だった。
中学にもろくに行けないで、15歳で名古屋に売られたと本人は言う。
その時に親が受け取ったお金は15円だった。
酔うと「俺は15円で親に売られたんだ」が口癖だった。
当時、公務員の給料が75円だったので、15円は今の貨幣価値に
換算すると4〜5万円というところだろうか。

 名古屋の木工所で働く事になった親父は、元々、手が利く人だったので
直ぐに腕が上がり、社長と女将さんに随分と可愛がられた。
他の職人がテーブルを1台作るのに、親父は3台仕上げた。
売り上げを上げる職人が可愛いのは至極当然だった。
社長は他の職人には内緒で、腕時計や背広を買ってくれた。
10代の特別扱いをされる親父には、他の職人たちの嫌がらせが始まった。
しかし、親父は全く気にならなかった。
「俺は社長に買われたんだ。だから商品価値を上げるだけ」
修行期間が5年を過ぎた二十歳の頃、赤い召集令状が来た。
1939年に勃発した、第二次世界大戦は4年目となっていた。


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posted by アズキパパ at 10:51| Comment(6) | TrackBack(0) | 家族 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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