2012年04月22日

さようなら中村先生 ラスト


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 中村先生の葬儀には全国から多くの教え子が参列したそうです。
大きめの会場を設定したようですが、入り切らない位の方々が
中村先生の死を悼みに集まったようです。
その中に私は入って行きませんでした。恩人である先生の死を
受け入れたくなかった等と言う感傷的なものではありません。
葬儀会場が溢れる位の弔問客になる事は予想出来ていたので
会場と葬儀を仕切る立場の人からすれば、効率の良い進行をするでしょう。
甚だ不謹慎的な考え方になるかも知れませんが、葬儀は多分にセレモニー的に
なることは否めないと思いました。
私は、先生の遺影としっかり対峙して話しがしたいと思いました。
 葬儀が終わり、数日間は引っ切り無しに弔問客があると思いますが
だんだんとその数も減って来ると残された家族は寂しさが湧きあがってきます。
この事は自分で両親と姉を見送った経験で痛いほど判ります。
 弔問客が薄くなると思った頃に、妻と先生に会いに行きました。
ちょうど女子高時代の教え子が弔問を終えたところでした。
奥様が教えてくれたのですが、先生は女子高時代は一切、生徒の前で
怒った事がなかったそうです。
 先生は口腔底癌を克服後はリハビリと称して連日の飲み屋さん通いだったそうです。
奥様は頼むから日付が変わる前には帰って来てと釘を刺していたそうですが
ほとんどが午前様だったようです。
連日のリハビリが功を奏してか、発音に違和感を残していた後遺症も
すっかり鳴りを潜めていたそうです。
 それが昨年の7月にヘルペスを患ったことで様子が一変しました。
癌治療をした大学病院に行けば良かったのかも知れませんが、
地元の総合病院に入院してヘルペス治療をしたそうです。
そのことがその後の体調に影響を及ぼしたかは断定的な事は
言えませんが、先生の癌治療のデータを持たずに治療をしたことは
何らかの影響を及ぼしてしまったのではないかと思います。
ヘルペスは治りましたが、体調がすぐれずに大学病院を訪ねた時には
既に手遅れの状態だったそうです。
体のあちらこちらに癌が発生する多発性癌に冒されていたそうです。
手の着けようがなく、最も深刻だったのが膵臓に出来た癌でした。
このことは先生には伏せられましたが、先生は感じ取っていたのでしょう。
先生は病室で奥様にずっとそばに居て欲しいと言ったそうです。
病院は完全看護が原則で家族が泊まり込む事は出来ないらしかったが
特別のはからいで、奥様はずっと先生のそばでいたそうです。
先生は好きに生きた人生だったと思いますが、人生の終焉を
迎えようとしている時に最も大切な人に傍に居て欲しかったのでしょう。
強気で生きた先生が最後に見せた弱さ・・・。「そばに居て欲しい」
それは長い夫婦生活で一番の濃密な時間だったのではないかと思います。
 先生の回復は見込めなかったので、ホスピスに転院しました。
ホスピスは痛みを軽減することを第一としているので
先生はゆるやかに穏やかに死を迎える事が出来たそうです。
先生の葬儀には遺体も遺骨もありませんでした。
それは先生が若い医者の為に献体を申し出たからです。
先生、先生。最後の最後にも私に道を示してくれました。

 先月、役場から中央公民館の非常勤の館長就任を要請されました。
夏イベントのイベント委員長、出会い応援隊の隊長、その他自ら企画主催する
数々のイベント・・・。
娘は「仕事との両立は出来るの?」妻は「引き受けるの?」と概ね否定的な雰囲気。
でも私は引き受ける事にしました。人々に求められている内が華だと思うからです。
それと、中村先生が献体をした事が後押しをしてくれました。
「人の為になることをやれ」
先生がこう言っていると思ったからです。
先生、有難う御座いました。そして安らかにお眠りください。
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posted by アズキパパ at 17:04| Comment(4) | TrackBack(0) | ペット | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年04月08日

さようなら 中村先生1


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 中村先生の退職パーティには各地から大勢の教え子が集まりました。
いくつも年の離れたラガーマン達から破天荒な先生のエピソードが語られ
とても楽しい時間を過ごしました。
先生が私達のテーブルにも来てくれて
「お前は面白いヤツだなぁ」と仰るので
「いやいや、先生には敵いません」
と謙遜してみせました。
 定年パーティから数年立ったある日、先生に用事があって電話をしました。
奥様が電話に出てくれました。
「主人は入院して、家には居ないんですよ」
「え、どうされたんですか?」
「実は口腔てい癌で大学病院で手術をしたんです」

 あのお酒とラグビーをこよなく愛する元気印の先生が
癌に襲われたなんて驚きでした。
電話を入れてから1ヶ月程で退院をされたと、その後
ちょくちょく入れた電話で聞かされました。
退院予定の直前に転移が見つかって少しだけ退院が延びたようでした。
先生は元気にはなったが、発声が不自由と聞いたので
手紙を書く事にしました。
手紙を送ると速攻で返事をくれました。
手紙をくれて嬉しかった事、リハリビと称して
連日のスナック通いの事、そして再発への恐怖が綴られていました。
それから数年、先生からの年賀状には『元気です!』との書き出しがあり
安堵を感じていましたが、今年は年賀状が届きませんでした。
心配になって先生の近くに住む友人に確認すると
再発して入院をされているとの事でした。
それから数日後、友人から先生が亡くなったと連絡がありました。
慌ただしくあちこちの友人から先生の訃報が寄せられ、葬儀の日程も
決まったようでした。
でも私は葬儀には出る気持ちにはなれませんでした。

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posted by アズキパパ at 14:54| Comment(2) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年03月02日

恩師 中村先生7


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 卒業後、チームメイトの結婚式の度に中村先生とお会いする機会がありました。
先生も私も必ず披露宴ではお祝いの挨拶という役割がありました。
先生の挨拶は来賓の挨拶ですので披露宴の始まりでされますが、
友人代表挨拶は宴が盛り上がった辺りに設定されています。
私は挨拶という役割を終えるまで緊張でお酒も飲めず、楽しめません。
挨拶を終えた先生はそれを面白がって、私の隣に座って
どんどんお酒を勧めます。
披露宴でのお祝いの言葉は新郎の良い思い出を語り、褒め千切らなければ
なりませんが、先生にしこたま飲まされてただの酔っ払いになった私は
新郎との最悪な思い出ばかりを語ったことがあります。
会場は爆笑と苦笑いのない混ぜとなってしまいました。
中村先生はしてやったりとばかりにニタニタしています。

 卒業から10年後、私も縁があって結婚する事になりました。
もちろん中村先生からお祝いの言葉を頂きました。
披露宴では型通りのご挨拶でしたが2次会で先生は妻に言い聞かせていました。
「こいつは不思議な雰囲気を持っていて、周りに居ると何だか
暖かい気持ちになる。だからキャプテンにしたんだ」

初めて明かされた私を主将に指名した理由でした。
やはりラグビーの技術を見込んだのではありませんでした。
「こいつの周りには人が集まってくる。したがって飲み会に出る事も
多いだろう。帰って来る時間も遅くなるかもしれない。そんな時でも
叱らないで、よく間違わないで帰って来たねと優しく迎えてやって
欲しい」

先生は自分の願望を込めて妻に諭していました。
でも先生が言われた理由は思ってもみなかった事でした。
私は自分は冷徹な人間で、自分からは人の輪には入れない
へな猪口野郎だと常に自己嫌悪を抱いていたのです。
自分からはそんな負のオーラが出ているのではと悩んでもいました。
結果的に先生が私を主将に指名して頂いた事で
その後の生き方が大きく変わった事は否定できません。

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posted by アズキパパ at 10:05| Comment(6) | TrackBack(0) | ペット | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする