2015年02月06日

前略 母ちゃんへ2


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 母ちゃん、母ちゃんの料理で思い出に残っている料理は
あまりありません。
正直、母ちゃんの料理で美味しいと思ったことはありません。
町部から離れた農家の出のせいか、おかずはうんとしょっぱい
ニシンと漬物と野菜を茹でた物しか食べたことが無いって
言ってましたものね。
魚料理は焼く、煮る。煮るのも醤油で煮るだけでしたね。
あ〜、彼岸に作る牡丹餅だけは美味しかったです。
彼岸の朝、早起きして牡丹餅を作っている横で
出来次第に私が食べまくるから、ちっともお墓の分が
出来ませんでしたね。
それを怒りもせず、嬉しそうに作り続けていましたね。
13個食べたところで「腹つえ〜」
後ろ手に天井にお腹を突き出すと
「腹破れるど」と笑いましたね。

 母ちゃんは私のやること、しでかすことを
叱ったことがありませんでしたね。
叱りはしないけど、時々悲しい顔をされると
何だか切ない気分で一杯でした。
小学生の頃、母ちゃんを驚かそうと
仕事から帰る頃を見計らって、合羽の上下に
長靴を履かせて天井からぶら下げたことがありました。
案の定、母ちゃんは土間に座り込むくらい驚いて
私は目論見が成功して馬鹿みたいにケタケタ笑いこけて、
でも母ちゃんは怒りもせず、俯きながら
「片付けれ」と言ったきり
その日は口を利いてくれませんでしたね。
冗談の質が悪いクソガキでした。
ごめんなさい。


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posted by アズキパパ at 15:11| Comment(2) | TrackBack(0) | 家族 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年02月04日

前略 母ちゃんへ


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 母ちゃんが旅立ってから、もう34年が過ぎたんですね。
53歳で亡くなった母ちゃんの歳をとっくに追い越してしまいました。
身長が140センチくらいしかなかった母ちゃんを
小学生の私は恥ずかしく思っていました。
参観日に来ると、その小ささは際立っていて
友達に「あの小っちぇの誰の母さん?」と聞かれても
「知らね」と答えていました。
だから、参観日の通知を渡さない時もありました。

 私が幼稚園の頃から母ちゃんは近所の製材所に働きに出ましたね。
私はその時から、鍵っ子でした。
あの頃、近所で共働きの家は珍しかったと思います。
屋根が杉皮を葺いた家で、雨が降ると部屋のあちこちに
空き缶や鍋が点在していて、水滴の音が音楽を奏でるようで
可笑しい様な、悲しい様な・・・雨降りの日は
誰も喋りませんでしたね。
 そんな暮らしを何とかしたくて母ちゃんは
働きに出たんでしょうね。
幼稚園から帰っても、誰もいない真っ暗な家に耐え切れず
私は母ちゃんの職場におこ使いの無心に行きましたね。
5歳の私を一人きりにしている負い目があったのでしょう。
小っちゃながま口から100円くれましたね。
一日働いて300円だった時に100円ですから
今考えると禄でもないガキでした。
 
 ある日、私が風邪をひいて熱を出した朝に
布団から出ないでいると、母ちゃんは台所で
顔を両手で覆って泣いていましたね。
「こんな時でも休んでそばにいてやれない」
私は子供心に、風邪をひいた自分が申し訳ない気持ちで
いっぱいでした。
母親を泣かせることは、幼いながらも男子として
胸を鷲掴みされるような、辛さでした。
「オレ、一人で病院行けるから」
歩いて15分の川崎医院にはじめて一人で行ったのはその時でした。
お母ちゃん、今ならあなたの苦しさがよく判ります。

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posted by アズキパパ at 16:41| Comment(2) | TrackBack(0) | ペット | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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