2015年02月19日

前略 母ちゃんへ9


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 母ちゃんに癌であることを悟られない為に
その日の夜行列車で神奈川に帰ることにした。
「じゃ、母ちゃん。早く元気になれよ」
「心配掛けて、悪かったな。仕事、一生懸命やれな」
余命3ヶ月とは思えないほどの顔色と言葉を言う。
本人は悪い部分を取り除いて、後は良くなるだけと思っている。
胸の真ん中に灰色がかった靄のようなものを抱えて病院を出た。

 夜行列車の寝台の個室で悶々と、これまでの自分が
母ちゃんにしてきたこと、して貰ったこと、
そしてこれからのことを考えた。
一睡も出来ないまま、カーテンで仕切られた個室で
線路を駆ける車輪の音だけが耳に響く。
時折鳴らす汽笛は、もうすぐ訪れる母ちゃんとのお別れの
合図ように聞こえ、こみ上げる悲しさは無いのに
両方の目からは涙がとめどもなく溢れてくる。
母ちゃんにとっては自慢の息子だったかもしれないけど
実際は、優柔不断なくせに思慮浅く、軽率な判断をしてしまう
ロクデナシだった。
もしかしたら、母ちゃんは全て見通してロクデナシの部分も
抱きしめてくれていたのかもしれない。

 仕事に戻ったが、相変わらず多忙な日々で
アパートに帰れるのは深夜であった。
こうしている間にも、母ちゃんの命のカウントダウンは
自分の心臓の拍動と共鳴しているように感じ、
時折、胸を叩いてその時を止めようと、愚かな行為に
出ることもあった。
電話の音に怯え、仕事でもアパートでも電話のベルが
鳴るたびに、それが死刑宣告の合図ように聞こえ
耳と体を塞いでしまう。

 母ちゃんの手術から20日目の深夜、恐れていた電話のベルが
けたたましく部屋に響く。
出られない。出たくない。きっと悪い知らせだ。
20回ほど鳴ってベルは止まった。
電話の前でうなだれて正座して、自己嫌悪に浸かっている。
10分後、再びベルが鳴る。何かから奪うように受話器を取った。
「はい・・・」
姉からだった。
「母ちゃん・・・危篤・・・」
「はい・・・」
「直ぐに帰ってきて。母ちゃん待ってるよ」
「はい・・・」
「母ちゃん、お前に連絡するって言ったら怒ったんだ」
「はい・・・」
「心配掛けたくないって」
「はい・・・今行きます」
「先生が朝までもたないかもだって・・・」
「先生にお願いして・・・生きている母ちゃんに会いたいよ」
「うん・・・早くおいで」
上野発、最終列車、急行つがるに間に合った。


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posted by アズキパパ at 11:49| Comment(4) | TrackBack(0) | 家族 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
こんにちは
不吉な電話・・・
私も父と舅を亡くしてるので
夜、掛かってきた電話には
ドキッとしてました
出たくない、でも出ないと
震える手で受話器をもった記憶があります

Posted by 由乃 at 2015年02月19日 16:34
由乃さん

良くない電話と判っている電話のベルは怖いですよね。
あの時は、電話の線を引っこ抜いておきたい衝動に駆られるくらいのヘタレな心境でした。
Posted by アズキパパ at 2015年02月19日 18:24
久しぶりに拝見致しました。

泣けてしまいました。。。

父を亡くした時を思いだしてました

留守電の二件目のメッセージに。。。

お父さんが死んだんやて。。。京都の祖母からの声に二十歳の自分は頭の中が真っ白になり嘘だよ。。って何度も言い聞かせて自宅に戻ったんです。。。
あれから23年経ちました。

時の流れ。。。やっぱり早いです…

大切に生きていかなきゃ。。。ってまた強く思いました
Posted by マミ at 2015年02月19日 22:08
真美ちゃん

二十歳のときだったんだ・・・。
意味が判らなかったでしょ。
私は21歳でした。
なんでこんなガキに毛が生えた位の歳の自分に
親が死ぬなんて事が起きるのか、受け入れられない
出来事でした。
何の試練?って
Posted by アズキパパ at 2015年02月20日 07:56
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