2015年04月16日

親父(オヤジ)2


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 戦争の事はあまり話したがらなかったが、衛生兵だったらしい。
戦闘で負傷した兵士の応急処置をしたり野戦病院へ移送したり、
戦死した兵士の記録と聞かされた。
程無く終戦を迎えたが、ソ連によって捕虜となりシベリアに労働力として
抑留されてしまう。
極寒のシベリアで過酷な労働と粗末な食事で、何人もの捕虜が死んでいった。
『働かざる者、喰うべからず』
とにかく体力の無い者は食事も満足に与えられなかった。
オヤジは体力には自信があった。
体力と要領の良さを発揮して、他の人よりも多く働いた。
その為、ソ連兵に大いに気に入られ、食事も大盛りで与えられた。
周りの捕虜が痩せ細っていく中で、オヤジは太ってズボンのベルトの長さが
足りなくなった。
見かねたソ連兵が自分のベルトを外して与えてくれた。
 私が幼かった頃に、「ロシア語はしゃべれるの」と聞いたら
「電気を消すことを、ケストクライって言うんだ」と答えた。
本当だったのか、冗談だったのか、未だに不明のままだ。

 親父は三年間の捕虜生活を経て、帰国することができた。
最長で11年も抑留された人もいる中で、早い帰国を果たした。
子供の私に話してくれた戦争体験は少なかったが、
終戦記念日には、毎年神妙な顔をしていた。
話したくとも話せない事があったんだろう。
私自身、大人になっていく過程で戦争について学ぶ機会があり
湧き上がる思いを確かめたい衝動に駆られた。
『オヤジは戦場で相手兵士を殺したのだろうか』
しかし、いくら息子でも聞いてはいけないタブーのような気がして
ついに聞けないままだった。
 あの敗戦があったからこそ、敗戦をバネに日本の繁栄があったかも知れないが、
夫や息子を戦場に取られる女性たちで、誇りと思った人はいただろうか。
国家的事情という大義を掲げた馬鹿な男共が始めた戦争に称賛を与えた女性は
いなかったのではないか。
一針一針、願いを込めて結んだ千人針には手柄を期待するものではなく
大切な夫や恋人、息子が無事に帰って欲しいという祈りしか無かったのではないか。
 
 戦争、ソ連の捕虜という過酷な運命を辿って帰った故郷であったが
安堵の日々が待っているわけではなかった。


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posted by アズキパパ at 16:37| Comment(0) | TrackBack(0) | ペット | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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