2015年02月20日

前略 母ちゃんへ10


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 深夜の急行つがるは寝台車ではなかったので
暗闇の窓を見つめているしかなかった。
「母ちゃん、待ってろよ。まだ逝くなよ」
抱えきれない不安、恐怖、怒りを何処に持って行けばいいか、
やり場の無い理不尽さに押しつぶされないように
拳を握り締めるしかない。
幸い、電車は空いていて4人掛けのボックスには
自分一人しか乗っていなかった。
向かいに誰か乗っていたらどんな顔をしていただろう。
「母ちゃん、逝くな」
呪文のように頭の中でリフレインしている。
山形を過ぎたあたりで、うっすらと夜が明けた。
眠れない、寝てはいけない。
しかし、その後の記憶が無い。
寝てしまった。
「八郎潟〜八郎潟〜」
で目を覚ました。強烈な自己嫌悪が襲う。
とにかく、急ごう。
タクシーで病院に向かう。
病院の玄関では、伯父が待っていた。
「待ってたよぉ。お前が来るって言ったら持ち直した」
階段を駆け上がり、病室のドアを開けた。
家族や親族に囲まれて、上掛け布団から浮腫んだ顔を出した
母ちゃんがいた。目は黄疸で黄色い。
言葉が出ない。
「ほら、息子帰って来たぞ。待ってたんだよな」
伯父が言う。
赤いモヘアのセーターに背中まで伸びたカーリーヘアの私。
「見て。こ〜んなかっこうしてぇ」
「お〜、よく似合ってる。この子はこんな格好が似合うんだ」
母ちゃんは私の手を弱々しく握り離さない。
母ちゃん、死ぬのか?本当に死んじゃうのか?
俺を置いていくなよ!嫌だ!嫌だ!
耐え切れず、小さな嗚咽が大きくなっていく。
「何泣いている!泣けばダメだ!」
生まれて初めて母ちゃんに怒られた。
弱々しかった手が強く握られた。
「泣かないで。な。頑張れ。お前は頑張れ」

 そこに生まれて一ヶ月の姪に着物を着せた姉がそばに来た。
「ほら、母ちゃん縫ってくれた着物」
姉に抱かれて着物から出た足を母ちゃんが掴んで
「ミサト〜!ミサト〜!」
と、最後の命を振り絞るように叫んだ。
姪は、火が付いたように泣いた。
母ちゃんは足から手を力なく離して、ダラリと落とした。
先生が心臓マッサージを施したが
心電図の波は横棒で流れた切り、波は起きなかった。
「10時20分、ご臨終です」
病室に泣き声だけが響いた。
母ちゃん53歳。私が21歳の時だった。


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posted by アズキパパ at 12:06| Comment(5) | TrackBack(0) | ペット | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年02月18日

前略 母ちゃんへ8


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 母ちゃんが癌・・・まだ53歳。
35年前の癌への認識は死病でした。
本人には知らされていない中で
どんな顔をして会えばいいのか。
八郎潟駅からタクシーで病院に直行したら
親父が付き添っていた。
母ちゃんはベッドで寝ていたけど、私の
「元気そうだな」の声に驚いて
「なして連絡したの」
と親父を一睨みした。
「ごめんな。忙しがったべ」
「うん・・・まぁ」
会話がぎこちない。そして、続かない。

 手術の日。
母ちゃんがストレッチャーで手術室に消えていく。
手術室の前の廊下で、会話も出来ない親父と私。
何時間も掛かると思っていた手術が1時間位で終わった。
これは良いことなのか、良くないことなのか。
麻酔で眠らされた母ちゃんは病室に運ばれて
私と親父は、執刀医から別室に呼ばれた。
「開腹してみたら、癌が腹膜にも及んでいて
とても取れるものではないと判断せざるを得なかった。
なので、直ぐにお腹を閉じさせてもらった」

こんな時は何と言えばいいのだろう。
親父はうな垂れたまま、一言も発しない。
私の心臓は音が外に漏れているんじゃないかと思うほど
早く、そして強く高鳴っている。
息が苦しい・・・
一つ大きく息を吸って、力の無い声で先生に聞いた。
「母ちゃんは死ぬんですか」
「あの状態では、医者が出来ることはありません」
「・・・・・・・」
「先生、53歳ですよ。何とかしてください」
「あんなになるまで放っておいたとすれば、相当前から
具合が悪かったと思いますよ」

母ちゃんは、初めての孫が嬉しくて、また、使命感に燃えて
姉の産後の世話をかいがいしくしてたらしい。
姉の床上げが済んだ後で病院に行ったんだそうだ。

 私は先生に一番聞きたくなく、でも一番聞かなくてはならない
ことを聞かなければならない。
「母ちゃんは、どれ位生きられますか」
先生は苦渋に満ちた表情で答えました。
「何とも言えませんが、もって3ヶ月かも知れません」
親父は一言も発しません。
こんなシーンはドラマの中だけの出来事だと思っていた。
男二人は、うな垂れたまま母ちゃんの病室のドアの前に立っている。
母ちゃんは自分が癌だと知らないのだ。
しかも助からないことも。
ふいに中からドアが開けられて看護師さんが
「目を覚ましましたよ」と言った。
看護師さんに促されるまま、母ちゃんのベッドの前に立った。
私は精一杯の笑顔を作った。
「母ちゃん、どうだ?痛くね?」
「うん、先生に悪いところ取ってもらったからスッキリした」
「良かったな」
「先生の話し、聞いてきたか」
「うん」
「何とだったって?」
「うん・・・悪いところは取ったって」
うまく言えていたかは自信がないけど、こう言うしかなかった。

 手術の翌日。
母ちゃんの顔を見ると、辛くなるし、嘘を吐き通す自信も
ないので、ベッドの脇の床に座って雑誌ばかり読んでいた。
「お前、何で今日も居るの?神奈川に戻って仕事しろ」
自分の中では、最後まで母ちゃんと過ごすつもりでいた。
「帰れって!もう大丈夫だから。来てくれてありがとな」
こう言われてしまうと、帰らざるを得ない。
癌であることが悟られると困る。
「んじゃぁ、明日帰るから」
「仕事、頑張れよ。盆まで来なくていいからな」
盆までなんか持たない。


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posted by アズキパパ at 10:34| Comment(2) | TrackBack(0) | ペット | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年02月17日

前略 母ちゃんへ7


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 母ちゃんの万歳で見送られてから一週間、社会人初の挫折で
家にすごすごと帰って来た私を、学校からでも帰ったかのように
変わらぬそぶりで
「お帰り。朝ごはんまだだろ」
と言ってくれた時は、嬉しさよりも申し訳ない気持ちで
いっぱいでした。
一週間で辞めた理由を聞くでもなく、今後の事を問い詰めもしない。
ただ一言
「高校へ行って、お詫びをしてきなさい。次にあの会社に入りたい人が
困るだろうから」


 一ヵ月後、神奈川県の会社に入る事を決めたときも
母ちゃんは何も言わなかったね。
普通は「今度は辞めるなよ」とか「どんな会社?」とか
聞くものだと思うのだが「体に気を付けて」だけだったね。
5月の連休に会社の担当者が車で自宅まで面接に来て
そのまま車に乗せられて神奈川に出発した時に
車に何度も何度も深々と頭を下げている母ちゃんを見て
ごめん、とつぶやくしかなかったんだ。

 入社した年は、所長の家に居候させてもらい
二年目からはアパートを借りたけど、そのアパートの隣が
ソープランドだったとは、ついに母ちゃんには言えなかった。
母ちゃん、たまたまだから。狙ったわけじゃないから。
あんまり近いとかえって行けないものだから。
本当に一回も行ってないから。

 社会人3年目の時に夜遅くなってから姉が電話を寄越した。
「母ちゃん、今日仕事で親指を落としてしまった」
「え?くっ付けられないの」
「切り口が綺麗でないから付けられない」
お盆休みで帰った時、母ちゃんの右手には親指がなかった。
包丁を人差し指と中指で挟んでご飯を作っていた母ちゃんに
「左利きになれば」なんてつまらない冗談に
「それ、気が付かなかった」と笑って言う。

 親指を落とした翌年の二月。姉に子供が生まれた。
自分にとっては姪が出来たことになる。
母ちゃんは生まれる前から大喜びで、半年も前から
孫のために着物を縫い始めた。
呉服屋に生地を買いに行った時に店員さんから
「半年も前から縫うの?男の子か女の子かも判らないのに」
と言われたらしい。
「親指が無いから、時間が掛かるし。多分女の子が生まれるよ」
予想通り、女の子が生まれたと姉から電話を貰った数日後
再び姉から電話があった。
「母ちゃん、入院した。お前に言うなって言われていたけど、
どうも癌らしい」

「母ちゃんは知ってるの?」
「知らない。手術で悪いところを切れば治るって思ってる」
手術は明後日。翌朝、会社に説明をして特急あけぼのに飛び乗った。


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posted by アズキパパ at 10:54| Comment(2) | TrackBack(0) | ペット | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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