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親父はダイワン(町内会地区の別名)の狼と呼ばれていたらしい。
私自身は、その狼ぶりを目撃したことはない。
伝説のような話しであるが、酔っ払って暴れている親戚がいると
駆けつけて制圧し、担いで警察署まで行き、トラ箱にぶち込んで来たり
不良になって家に帰らない親戚の子を探し出し、家まで引きずって帰ったとか
製材所では直径30センチの丸太を両方の肩に1本づつ担いで運んだとか。
親父は大正12年に4人兄弟の末っ子で生まれた。
豊かな人が一握りで、残りは総じて貧しかった時代だった。
中学にもろくに行けないで、15歳で名古屋に売られたと本人は言う。
その時に親が受け取ったお金は15円だった。
酔うと「俺は15円で親に売られたんだ」が口癖だった。
当時、公務員の給料が75円だったので、15円は今の貨幣価値に
換算すると4〜5万円というところだろうか。
名古屋の木工所で働く事になった親父は、元々、手が利く人だったので
直ぐに腕が上がり、社長と女将さんに随分と可愛がられた。
他の職人がテーブルを1台作るのに、親父は3台仕上げた。
売り上げを上げる職人が可愛いのは至極当然だった。
社長は他の職人には内緒で、腕時計や背広を買ってくれた。
10代の特別扱いをされる親父には、他の職人たちの嫌がらせが始まった。
しかし、親父は全く気にならなかった。
「俺は社長に買われたんだ。だから商品価値を上げるだけ」
修行期間が5年を過ぎた二十歳の頃、赤い召集令状が来た。
1939年に勃発した、第二次世界大戦は4年目となっていた。

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