2015年03月10日

親父(オヤジ)1


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 親父はダイワン(町内会地区の別名)の狼と呼ばれていたらしい。
私自身は、その狼ぶりを目撃したことはない。
伝説のような話しであるが、酔っ払って暴れている親戚がいると
駆けつけて制圧し、担いで警察署まで行き、トラ箱にぶち込んで来たり
不良になって家に帰らない親戚の子を探し出し、家まで引きずって帰ったとか
製材所では直径30センチの丸太を両方の肩に1本づつ担いで運んだとか。

 親父は大正12年に4人兄弟の末っ子で生まれた。
豊かな人が一握りで、残りは総じて貧しかった時代だった。
中学にもろくに行けないで、15歳で名古屋に売られたと本人は言う。
その時に親が受け取ったお金は15円だった。
酔うと「俺は15円で親に売られたんだ」が口癖だった。
当時、公務員の給料が75円だったので、15円は今の貨幣価値に
換算すると4〜5万円というところだろうか。

 名古屋の木工所で働く事になった親父は、元々、手が利く人だったので
直ぐに腕が上がり、社長と女将さんに随分と可愛がられた。
他の職人がテーブルを1台作るのに、親父は3台仕上げた。
売り上げを上げる職人が可愛いのは至極当然だった。
社長は他の職人には内緒で、腕時計や背広を買ってくれた。
10代の特別扱いをされる親父には、他の職人たちの嫌がらせが始まった。
しかし、親父は全く気にならなかった。
「俺は社長に買われたんだ。だから商品価値を上げるだけ」
修行期間が5年を過ぎた二十歳の頃、赤い召集令状が来た。
1939年に勃発した、第二次世界大戦は4年目となっていた。


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posted by アズキパパ at 10:51| Comment(6) | TrackBack(0) | 家族 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年02月19日

前略 母ちゃんへ9


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 母ちゃんに癌であることを悟られない為に
その日の夜行列車で神奈川に帰ることにした。
「じゃ、母ちゃん。早く元気になれよ」
「心配掛けて、悪かったな。仕事、一生懸命やれな」
余命3ヶ月とは思えないほどの顔色と言葉を言う。
本人は悪い部分を取り除いて、後は良くなるだけと思っている。
胸の真ん中に灰色がかった靄のようなものを抱えて病院を出た。

 夜行列車の寝台の個室で悶々と、これまでの自分が
母ちゃんにしてきたこと、して貰ったこと、
そしてこれからのことを考えた。
一睡も出来ないまま、カーテンで仕切られた個室で
線路を駆ける車輪の音だけが耳に響く。
時折鳴らす汽笛は、もうすぐ訪れる母ちゃんとのお別れの
合図ように聞こえ、こみ上げる悲しさは無いのに
両方の目からは涙がとめどもなく溢れてくる。
母ちゃんにとっては自慢の息子だったかもしれないけど
実際は、優柔不断なくせに思慮浅く、軽率な判断をしてしまう
ロクデナシだった。
もしかしたら、母ちゃんは全て見通してロクデナシの部分も
抱きしめてくれていたのかもしれない。

 仕事に戻ったが、相変わらず多忙な日々で
アパートに帰れるのは深夜であった。
こうしている間にも、母ちゃんの命のカウントダウンは
自分の心臓の拍動と共鳴しているように感じ、
時折、胸を叩いてその時を止めようと、愚かな行為に
出ることもあった。
電話の音に怯え、仕事でもアパートでも電話のベルが
鳴るたびに、それが死刑宣告の合図ように聞こえ
耳と体を塞いでしまう。

 母ちゃんの手術から20日目の深夜、恐れていた電話のベルが
けたたましく部屋に響く。
出られない。出たくない。きっと悪い知らせだ。
20回ほど鳴ってベルは止まった。
電話の前でうなだれて正座して、自己嫌悪に浸かっている。
10分後、再びベルが鳴る。何かから奪うように受話器を取った。
「はい・・・」
姉からだった。
「母ちゃん・・・危篤・・・」
「はい・・・」
「直ぐに帰ってきて。母ちゃん待ってるよ」
「はい・・・」
「母ちゃん、お前に連絡するって言ったら怒ったんだ」
「はい・・・」
「心配掛けたくないって」
「はい・・・今行きます」
「先生が朝までもたないかもだって・・・」
「先生にお願いして・・・生きている母ちゃんに会いたいよ」
「うん・・・早くおいで」
上野発、最終列車、急行つがるに間に合った。


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posted by アズキパパ at 11:49| Comment(4) | TrackBack(0) | 家族 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年02月06日

前略 母ちゃんへ2


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 母ちゃん、母ちゃんの料理で思い出に残っている料理は
あまりありません。
正直、母ちゃんの料理で美味しいと思ったことはありません。
町部から離れた農家の出のせいか、おかずはうんとしょっぱい
ニシンと漬物と野菜を茹でた物しか食べたことが無いって
言ってましたものね。
魚料理は焼く、煮る。煮るのも醤油で煮るだけでしたね。
あ〜、彼岸に作る牡丹餅だけは美味しかったです。
彼岸の朝、早起きして牡丹餅を作っている横で
出来次第に私が食べまくるから、ちっともお墓の分が
出来ませんでしたね。
それを怒りもせず、嬉しそうに作り続けていましたね。
13個食べたところで「腹つえ〜」
後ろ手に天井にお腹を突き出すと
「腹破れるど」と笑いましたね。

 母ちゃんは私のやること、しでかすことを
叱ったことがありませんでしたね。
叱りはしないけど、時々悲しい顔をされると
何だか切ない気分で一杯でした。
小学生の頃、母ちゃんを驚かそうと
仕事から帰る頃を見計らって、合羽の上下に
長靴を履かせて天井からぶら下げたことがありました。
案の定、母ちゃんは土間に座り込むくらい驚いて
私は目論見が成功して馬鹿みたいにケタケタ笑いこけて、
でも母ちゃんは怒りもせず、俯きながら
「片付けれ」と言ったきり
その日は口を利いてくれませんでしたね。
冗談の質が悪いクソガキでした。
ごめんなさい。


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posted by アズキパパ at 15:11| Comment(2) | TrackBack(0) | 家族 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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