2015年02月18日

前略 母ちゃんへ8


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 母ちゃんが癌・・・まだ53歳。
35年前の癌への認識は死病でした。
本人には知らされていない中で
どんな顔をして会えばいいのか。
八郎潟駅からタクシーで病院に直行したら
親父が付き添っていた。
母ちゃんはベッドで寝ていたけど、私の
「元気そうだな」の声に驚いて
「なして連絡したの」
と親父を一睨みした。
「ごめんな。忙しがったべ」
「うん・・・まぁ」
会話がぎこちない。そして、続かない。

 手術の日。
母ちゃんがストレッチャーで手術室に消えていく。
手術室の前の廊下で、会話も出来ない親父と私。
何時間も掛かると思っていた手術が1時間位で終わった。
これは良いことなのか、良くないことなのか。
麻酔で眠らされた母ちゃんは病室に運ばれて
私と親父は、執刀医から別室に呼ばれた。
「開腹してみたら、癌が腹膜にも及んでいて
とても取れるものではないと判断せざるを得なかった。
なので、直ぐにお腹を閉じさせてもらった」

こんな時は何と言えばいいのだろう。
親父はうな垂れたまま、一言も発しない。
私の心臓は音が外に漏れているんじゃないかと思うほど
早く、そして強く高鳴っている。
息が苦しい・・・
一つ大きく息を吸って、力の無い声で先生に聞いた。
「母ちゃんは死ぬんですか」
「あの状態では、医者が出来ることはありません」
「・・・・・・・」
「先生、53歳ですよ。何とかしてください」
「あんなになるまで放っておいたとすれば、相当前から
具合が悪かったと思いますよ」

母ちゃんは、初めての孫が嬉しくて、また、使命感に燃えて
姉の産後の世話をかいがいしくしてたらしい。
姉の床上げが済んだ後で病院に行ったんだそうだ。

 私は先生に一番聞きたくなく、でも一番聞かなくてはならない
ことを聞かなければならない。
「母ちゃんは、どれ位生きられますか」
先生は苦渋に満ちた表情で答えました。
「何とも言えませんが、もって3ヶ月かも知れません」
親父は一言も発しません。
こんなシーンはドラマの中だけの出来事だと思っていた。
男二人は、うな垂れたまま母ちゃんの病室のドアの前に立っている。
母ちゃんは自分が癌だと知らないのだ。
しかも助からないことも。
ふいに中からドアが開けられて看護師さんが
「目を覚ましましたよ」と言った。
看護師さんに促されるまま、母ちゃんのベッドの前に立った。
私は精一杯の笑顔を作った。
「母ちゃん、どうだ?痛くね?」
「うん、先生に悪いところ取ってもらったからスッキリした」
「良かったな」
「先生の話し、聞いてきたか」
「うん」
「何とだったって?」
「うん・・・悪いところは取ったって」
うまく言えていたかは自信がないけど、こう言うしかなかった。

 手術の翌日。
母ちゃんの顔を見ると、辛くなるし、嘘を吐き通す自信も
ないので、ベッドの脇の床に座って雑誌ばかり読んでいた。
「お前、何で今日も居るの?神奈川に戻って仕事しろ」
自分の中では、最後まで母ちゃんと過ごすつもりでいた。
「帰れって!もう大丈夫だから。来てくれてありがとな」
こう言われてしまうと、帰らざるを得ない。
癌であることが悟られると困る。
「んじゃぁ、明日帰るから」
「仕事、頑張れよ。盆まで来なくていいからな」
盆までなんか持たない。


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posted by アズキパパ at 10:34| Comment(2) | TrackBack(0) | ペット | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年02月17日

前略 母ちゃんへ7


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 母ちゃんの万歳で見送られてから一週間、社会人初の挫折で
家にすごすごと帰って来た私を、学校からでも帰ったかのように
変わらぬそぶりで
「お帰り。朝ごはんまだだろ」
と言ってくれた時は、嬉しさよりも申し訳ない気持ちで
いっぱいでした。
一週間で辞めた理由を聞くでもなく、今後の事を問い詰めもしない。
ただ一言
「高校へ行って、お詫びをしてきなさい。次にあの会社に入りたい人が
困るだろうから」


 一ヵ月後、神奈川県の会社に入る事を決めたときも
母ちゃんは何も言わなかったね。
普通は「今度は辞めるなよ」とか「どんな会社?」とか
聞くものだと思うのだが「体に気を付けて」だけだったね。
5月の連休に会社の担当者が車で自宅まで面接に来て
そのまま車に乗せられて神奈川に出発した時に
車に何度も何度も深々と頭を下げている母ちゃんを見て
ごめん、とつぶやくしかなかったんだ。

 入社した年は、所長の家に居候させてもらい
二年目からはアパートを借りたけど、そのアパートの隣が
ソープランドだったとは、ついに母ちゃんには言えなかった。
母ちゃん、たまたまだから。狙ったわけじゃないから。
あんまり近いとかえって行けないものだから。
本当に一回も行ってないから。

 社会人3年目の時に夜遅くなってから姉が電話を寄越した。
「母ちゃん、今日仕事で親指を落としてしまった」
「え?くっ付けられないの」
「切り口が綺麗でないから付けられない」
お盆休みで帰った時、母ちゃんの右手には親指がなかった。
包丁を人差し指と中指で挟んでご飯を作っていた母ちゃんに
「左利きになれば」なんてつまらない冗談に
「それ、気が付かなかった」と笑って言う。

 親指を落とした翌年の二月。姉に子供が生まれた。
自分にとっては姪が出来たことになる。
母ちゃんは生まれる前から大喜びで、半年も前から
孫のために着物を縫い始めた。
呉服屋に生地を買いに行った時に店員さんから
「半年も前から縫うの?男の子か女の子かも判らないのに」
と言われたらしい。
「親指が無いから、時間が掛かるし。多分女の子が生まれるよ」
予想通り、女の子が生まれたと姉から電話を貰った数日後
再び姉から電話があった。
「母ちゃん、入院した。お前に言うなって言われていたけど、
どうも癌らしい」

「母ちゃんは知ってるの?」
「知らない。手術で悪いところを切れば治るって思ってる」
手術は明後日。翌朝、会社に説明をして特急あけぼのに飛び乗った。


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posted by アズキパパ at 10:54| Comment(2) | TrackBack(0) | ペット | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年02月16日

前略 母ちゃんへ6


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 高校3年生になり、就職は親に相談することも無く
学校に来た求人の中で、一番給料の良い愛知県の会社に
決めてからの報告でしたね。
「そう決めたなら、頑張れ」
そう言いながら、私が部屋に戻った後で、父親と
言い合いをしていた事は聞こえていました。

 入社式に臨むために、八郎潟駅から電車に乗った時に
駅のホームで母ちゃんが泣きながら万歳をした姿は
今でも心に残っています。
何でも一人で決めてしまう、ロクデナシでごめんなさい。
あの時、初めて母ちゃんの悲しさ、悔しさが判った気がしました。
母ちゃんの意表をついた万歳に、こみ上げるものがあったけど
直ぐに笑顔に変わった事を、今、白状します。
それは、1年生のマネージャーが何両か後ろの車両に乗り込んでいて
電車が動いた後で隣に座ってきました。
「先輩を秋田駅まで見送ろうと思って・・・」
一度だけ二人でご飯を食べただけの、付き合っていたとは言えない
間柄だったけど、母ちゃんの万歳で湧き上がった感傷は、
一瞬で消えてしまったんです。

 その会社は入社1週間で退職をしてしまったんだけど
人事担当の方が母ちゃんに電話をした時に
「出来るならば辞めない様に説得をしてください。でも、どうしても
辞めたいと言うならば、申し訳ありませんが返してください」

と言ったんだってね。
結局辞めて、自分が情けなくて、東京で仕事を見つけようと
上野駅周辺を歩き回って『従業員募集』の張り紙がないか探したけれど、
見つからなくて家に電話をしたら母ちゃんが出たんだ。
仕事を休んで、電話を待っていたんだってね。
「俺、東京で」言い終わらない内に
「馬鹿なことを考えるな!先ず帰っておいで」
と、その時に一番欲しかった言葉を母ちゃんはくれたんだ。
ロクデナシの息子をどうか許してください。


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posted by アズキパパ at 11:03| Comment(2) | TrackBack(0) | ペット | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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