2015年02月13日

前略 母ちゃんへ5


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 高校生になった私は妙な悪知恵が付いて、
今、自分の子供にやられたら頭にきて
きっと許さない事ばかりやっていました。
小椋桂の世界に引き込まれていた私は
レコードを買い集めていました。
アルバムの価格が2500円位だった時代に
月に2枚も買っていました。
小遣いが3000円なのに2枚も買える筈がありません。
「参考書買う」「スパイクに穴開いた」
こんな嘘を疑いもせずに、小さながま口を開いては
シワシワの千円札を出してくれました。
ステレオは小さな応接間のような部屋にあったので
一人掛けのソファに沈んで聴いていると、ソファの背もたれから
顔を覗かせて「優しい声だこと。毎回この人のレコードを
買うんだな」
と笑っていました。
あの笑顔は、もしかしたら私の所業を全て見透かした笑顔では
ありませんでしたか。

 私は3年生になると、土曜日は友人の家を泊まり歩いて家には
帰ってきませんでした。
7〜8人の泊まれる友人の家をローテーションでも組むように
泊まり歩きました。
そして、その友人たちを纏めて自宅に泊めることもありました。
「明日、友達を8人泊めるから」
今、親になってみると食べ盛りの男子に8人も泊まられると
ご飯の支度や寝具の用意やら、かなり大変です。
当時は、そんなことは一つも考えたことがありませんでした。
母ちゃんは大人数の友人を引き連れて帰ってくる私が
誇らしかったと、後で言っていましたね。
小さな体で製材所で働き、家事をこなし
馬鹿息子はいい気になって8人も連れてくる。
母ちゃんにとっては自慢の息子だったかも知れないけど
今思うと、随分と自分本位のロクデナシでした。


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posted by アズキパパ at 15:57| Comment(0) | TrackBack(0) | ペット | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年02月12日

前略 母ちゃん4


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 工業高校のインテリア科に進んだ私は
恐らく自分が一番の成績で入ったと自惚れていました。
母ちゃんは「上には上がいるもんだよ」
笑っていました。
母ちゃんの予想は当たっていて、クラスには県全体で
2番目に良い成績で入学をしてきた変な奴がいました。

 高校では柔道はやらないと決めていた私は、希望した
サッカー部が休部状態だったので、チャラチャラした
高校ライフを送っていました。
それが、6月の終わり頃に母ちゃんに
「今日からラグビー部に入った。スパイクと練習着を買うから
2万円くれ」
と言ったら
「そう。頑張れ」と小さながま口から
小さく折り畳んだ1万円札を2個渡してくれました。
でも母ちゃん。母ちゃんはラグビーってどんなスポーツか知らないでしょ。
テレビでラグビーの試合を見ていたときに
タックルされてグランドに倒れる様子をしかめっ面で視て
「この人たち、何やってるの」
と聞いたから「何だべな」と惚けるしかありませんでした。

 毎日のように持ち帰る、泥と汗まみれの臭いジャージーと靴下を
母ちゃんは当たり前のように洗ってくれましたね。
私が遅い晩御飯を食べている間に洗濯をしていました。
洗濯機に放り込めばいいという優しさに欠けたジャージーを
ひたすら手洗いをしていました。
何故、練習着は全て白だったんでしょうかね。
黒かったら洗濯機に放り込めば良いだけなのに。

 2年生の秋に「キャプテンになった」と母ちゃんに言ったら
「ふ〜ん」としか言わなかったけど
その日の洗濯は鼻歌交じりでやってくれましたね。
実力でなったキャプテンではなかったから、かなり気が重い
気分でいたけど、母ちゃんの鼻歌に励まされた気分がしましたよ。


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posted by アズキパパ at 17:05| Comment(0) | TrackBack(0) | ペット | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年02月09日

前略 母ちゃん3


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 中学生になって、母ちゃんと口を聞かなくなりました。
母ちゃんに文句があったわけでもなく、嫌いだったわけでも
ありません。
ものも言わずにご飯を食べて、学校に行く。
週末には汗臭い柔道着を洗濯籠に放りこんでいました。
柔道着は日曜日も使うので、皆が晩飯を食べている間に
黙々と洗っていましたね。
喋る事は、お金と弁当が必要な時だけ・・・・
あとは何を聞かれても無視でした。
思春期で反抗期。
母ちゃんが絶対に私を嫌いにならないと判っていたから
思いっきり反抗期を堪能できました。

 中学3年生の秋、高校の進学先を決める時に
親に一切の相談無しに「能代工業 インテリア科」
と学校に提出したことがありました。
職員室に呼ばれて担任が「何で工業高校?難度1番の高校は無理でも
2番の高校には入れるぞ」と言いました。
「希望する高校を書けとあるから」
「だから、成績に応じた高校を選んだらどうかと言っている」
「でも、希望する高校を書けと・・・」
「もういい!帰れ!」

 卒業式の謝恩会で、父が担任から私の学校での
変人っぷりを言い聞かされたということで
その日の夕飯で「何考えているんだ?随分と変わっているらしいな」
と父が不機嫌そうに言った時、母ちゃんはクスクス笑って
『お前らしくでいいな。そのまま、そのまま』

前略 お母ちゃん。
その小さな体の胸の辺りに、大きな塊が見えた瞬間でした。
思春期の訳の判らない反抗期が、終わりの始まりでした。

 その年の冬は豪雪で、屋根には1m以上の雪がありました。
冬休みのある日、仕事場から昼食のために帰ってきた母ちゃんと
ご飯を食べていると、玄関の上の太い梁がメキッと折れたことが
ありました。私は「家が潰れる」と逃げようとしたら
母ちゃんは悠然と「あわてるな。まずご飯を食べてしまえ」と
言いましたね。鈍感なのか勇敢なのか、何者ですか?

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posted by アズキパパ at 16:20| Comment(2) | TrackBack(0) | ペット | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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